拉致被害者・ご家族の方々とともに
内閣官房参与 中山 恭子
内外ニュース東京懇談会5月例会は、26日、東京・キャピトル東急ホテルで行われ、内閣官房参与の中山恭子氏が「拉致被害者・ご家族の方々とともに」と題して講演した。中山氏は、北朝鮮に残された拉致被害者5人の家族について、日本政府が責任を持って交渉に当たる考えを強調するとともに、「家族が日本に来て、自由な環境の中で話し合うしかない」、「拉致された家族を、北朝鮮側が取り引きのカードに使うことは国際社会では許されない」との認識を示した。 (講演要旨は次の通り)
ただいまは清宮社長から、宮崎1区選出の、主人・中山成彬に過分なお言葉をいただき、きちんと期待にこたえるように、しっかりとした政治家になってもらいたいと感じたところだ。
昨年の9月末から拉致被害者の5人、そしてご家族の方々と直接に接しており、その時に感じたことなどをお話しさせていただきたい。それから、99年の夏から昨年の夏まで3年間、ウズベキスタン大使として、中央アジアで勤務していたときに、いろんな事件、事柄があった。拉致の問題と大変似たようなというか、同じ流れにあると感じており、そのあたりのことも−。
昨年9月27日、被害者のご家族の方々が、その夜に総理とお会いするということで前日からこのキャピトル東急に泊まり、最初にお会いしたのがその朝食の時だった。この問題を引き受けた時に、長い間、20数年間にわたって苦労し苦しみに耐えてきているご家族の方々に対し、政府としても何か足りていないのじゃないか、また、私自身がこれまで本当に遠い存在としてしか考えていなかった、日本の同じ仲間が連れ去られているのに・・・と謝るような、そんな気持ちがあった。少しでもお役に立てるのであればと前日に引き受け、その次の日の朝だった。
横田さんご夫妻はじめ、蓮池さんや増元さんなどのご家族が集まっていた。まず受けた印象は、この方々は大変鍛え抜かれている人たちだなあ、と。自分の子どもたちが拉致とか、行方不明で、どこかに幽閉され、しかも音信不通。20数年間そういう状態が続いた中で、非常にしっかりと状況を見据え、対応できる−。密かに感動すら覚えた。
一般の人も巻き込み、政治的な意図で行われたのであれば、これは当然、拉致であろうと考え、昨年から私自身は 「これは国際的なテロです」という言い方をしている。ただ、まずどうやったら北朝鮮に、「これは犯罪行為であり、盗ったもの、持っていったものは返さなければいけない」ことを理解してもらい返してもらえるか。そこに重点を置いて、と考えたのがこの仕事に関わるようになってすぐのことだった。
この問題はいろんなことを教えてくれる、そういうテーマだ。
まず、家族の絆の強さというのを、どの方々からも非常に強く感じられた。平壌に迎えにいった時に、ちょうど曽我(ひとみ)さんのご家族の方々が平壌空港に来ておられた。ひとみさんにしてみれば、やっとやっと小さい世界をつくって頑張ってきていた。でもその中から今、独りだけまたポツンと離れている。
またそれまで、自分にとって最も大事な母親は 「日本にいる。いつか会えるかもしれない」と信じていた。だけど帰る段になり、自分と一緒に行方不明になっているというのを聞かされ、大変ショックだった。帰ってきても母親かいないとー。
さらに、人の人生と言ったら大げさかもしれないが、本当にはかないというか、おぼつかないものなのだ、と。人生が、自分のことと関わりなくポツと変えられてしまう可能性がどこにでもあるんだ、安心しきって住んでいる日本の中で、こういうことが起きているのだということが、この方々と一緒にいると改めて感じさせられる。
この問題は、国家のあり方、国家の役割というものを非常に明確に考えさせられる。例えば、ご家族の方々は、なかなか思うように政府が動いてくれないその現実の中で、マスコミを頼って、みんなに知ってもらおう、理解を得ようとしてきた。
それにしても、もう少しもっと早い段階から、外務省はじめ日本政府が全体としてまとまって、この日本で起きた、外国人により拉致された問題を、「北朝鮮に日本国の主権が荒らされている。自分が当事者である」という強い意識をしっかり持って、動くべきではなかっただろうか。また、どうして日本全体が、政府はもちろんマスコミだけではなく一般の人も、もっと身近なものとしてとらえてこなかったのかなと、自分を含めてだが。
産経新聞が、1980年1月7日の1面トップから3日連続で、この問題を掲載してくれていた。蓮池さん、地村さん、市川さん・増元さんの3件について、記者が自分の足でかせいた記事だったのだろうが、確証がつかめないということでそのまま放置されていた。折角ここまで調べた人がいながら残念なことだなあと思いながらも、それほどに事件化するのに難しい状況で、上手に連れていかれてしまっていた事件なのだろう、と。
昨年10月初め、5人を帰国させるという話があった。平壌に迎えに行ったとき5人は、20数年も北朝鮮公民として住み、北朝鮮のバッジを付けて、本当に日本が受け入れてくれるのか、と非常に不安な様子だった。
(日本の)空港に降り、多くの方々が迎えに出て 「お帰りなさい」。「ああ、帰ってきてよかったんだ」。ふるさとでも温かく迎え入れられ「(北朝鮮へ)帰らなくてもいいんだ」というような感じになってきた。
北朝鮮側は「本人の意思に従ってやってほしい」と伝えてきた。それは北朝鮮の中でしっかりと教え込まれているその意思であり、日本に帰ってきている間にその意思というのが変わってしまった、というわけだ。
キム・ヘギョンさんがテレビでー度、放映された。平壌でお会いした時には、とても利発そうな、かわいい、はにかみやさんの女の子でした。ひとみさんと2人で空港の中で抱き合って、ずっと泣きながら朝鮮語で話をしていた時の様子と、テレビのキム・ヘギョンさんとは全く違い、びっくりした。あんなに堂々と、ワーッと喋るようなことは考えられない、おとなしいお嬢さんだ。
テレビでは「党の幹部になる」としっかり言っていたが、ずっと前に調査団が「何になりたいの?」と聞いた時「お医者さんになりたい」と、ボソッと漏らした、そういうお嬢さんだ。ああいうテレビでは何日間も練習に練習を重ね「こういう言葉をこういうふうに言う」という許可が出て、カメラに向かったというのがあの映像だ。
したがって、政府が北朝鮮に対し、しっかりと要求し、連れ戻してこなければ戻ってこない。そして日本に来て「自由な環境の中で、自分の言葉で話し合いをする」しかない。そういう状態にあるということをぜひ知っていただきたい。
この段階で、「政府が当事者として北朝鮮に家族の帰国を要求する。他の消息がわかっていない方々についても解明を要求する」という方針が出された。一時帰国で北朝鮮に戻るとしても、「本チャンの帰国」の日程確定につき、北朝鮮ができないならお帰しするわけにいかないだろう、と。
北朝鮮に「この5人の家族や、拉致されている可能性がある人々などをカードとして使う、ということは国際的に許されない」と、理解してもらうことが今、急務だ。例えば何人かを帰すにあたって何らかの支援を頼むとか、そういう取り引きに使うようなものではないと。
この拉致問題で一昨日は、ブッシュ大統領が 「拉致された日本国民の行方が1人残らず分かるまで日本を完全に支持する。北朝鮮の拉致に対して強く抗議をしたい」と。そこで日本としても、もう一度もっとしっかりした形で、強く北朝鮮を説得し理解を得て、(拉致被害者に)もう一度母国の土を踏んでもらうための努力をしなければいけないと痛感している。
(私の)力不足でなかなか進展しないが、「国と国の関わりというのは、結局はその国の国民の一人ひとりの関わりだ」と考えているので、日本の人々の一人ひとりのお力を得て、政府の方針なり、考え方を支持していただき、そしてマスコミの方々も、ここまで支えてきてくれた方々なので、そのお力も得ながら、何とか1人でも多く、無事に母国の土を踏めるよう努力したい。
(週刊「世界と日本」1582号。講演録はじゅん刊「世界と日本」997号に掲載) 戻る |