地域社会との共存共栄が肝要
 世界に進出する日本の食文化
              キッコーマン社長 茂木 友三郎


 内外ニユース東京懇談会の11月例会は8日、東京・キャピトル東急ホテルで行われ、キッコーマン社長の茂木友三郎氏が「世界に進出する日本の食文化」と題して講演した。この中で茂木氏は「高齢化は食品業界にも大きな影響がある。国内では付加価値の高いものをつくる。海外にも工場をつくり、市場を開拓する必要がある」と述べた。また「欧米では政治家がビジネスに理解がある。日本の政治家は見習ってほしい」と語った。さらに同氏は、日本企業の海外進出に当たっては「地域社会との共存共栄を大切にしていくべきだ」と強調した。(講演要旨は次の通り)


 

 食品業界にとって、現在の厳しい経済状況に加えて、中長期的に深刻な問題は高齢化である。だから国内では付加価値の高いもの、シニアの皆さんに好んでもらえるような商品を開発して、数量的に消費が減っても売り上げは確保できる方向で考えている。
 もう一つは海外進出である。海外に工場をつくる目的は2つある。一つには、例えば人件費の安い中国で製品をつくって日本へ持ってくる。しかし、これは国内需要を目的としているから、人□減とか高齢化の問題解決にはならない。もう一つの目的は海外市場を開拓することだ。
 キッコーマンは食品業界の中では、早くから海外に進出している。現在、当社の連結決算で売り上げの20%強が海外の売り上げである。主力製品である醤油の生産量の30%を海外で生産し、販売しているが、営業利益では50%弱が海外である。海外のほうが収益力が高いということだ。
 戦前戦中を通じて、当社は中国、満州、韓国、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどに工場をつくった。しかし、昭和20年の終戦によって海外事業は完全に幕を閉じた。戦後の昭和20年代は、醤油はつくれば売れた。しかし昭和30年頃には戦前と同じ生産量になり、需要が伸び悩むという深刻な状況となった。
 そこで多角化と国際化という戦略を考えた。多角化ではデルモンテ・ブランドのトマトケチャップ、トマトジュースをはじめ、マンズワインを開発した。さらに関東3県でコカコーラのフランチャイズを取った。
 国際化戦略では、重点市場を戦前のアジアからアメリカに転換した。戦後、多くのアメリカ人が日本にきて醤油を知り、アメリカ料理に使い始めた。アメリカ人の間に醤油の潜在需要があると考え、昭和32年サンフランシスコに販売会社をつくり、西海岸から商売を始めた。昭和36年にはニューヨーク、40年にはシカゴ、さらにジョージア州のアトランタと、次第にマーケットを広げた。
 われわれにとって幸せだったのは、肉と醤油の相性がいいということだった。アメリカで″照り焼き″といえば肉のことだ。醤油に肉を浸して、あるいは醤油を刷毛で肉に塗り、焼いて食べる。外でやるとバーベキューになるわけだ。
 醤油の売り上げが伸びてきたので、昭和40年頃、アメリカに工場をつくるうという話が出できた。その時は時期尚早ということで見送り、最終的に決断したのは昭和46年であった。アメリカに工場をつくるメリットは、海上運賃と関税がゼロになることであった。大豆、
小麦という原料コストも安くなる。一方、マイナス面は、陸上運賃かかさみ、設備投資も特注品になるので高くなることだった。
 製品の運送効率、原料入手の便利さ、労働力の質などを検討して、ウィスコンシン州の南部に工場をつくる意思決定をした。昭和48年に工場は完成したが、ソニー、YKKとキッコーマンの3社が、アメリカヘの工場進出としてはいちばん古いということになる。その後、5年ほど前にカリフォルニア州サクラメントの近くに、アメリカにおける第2工場をつくった。
 海外の工場運営に当たって、われわれの基本的な考え方は地域社会との共存共栄である。ウィスコンシンに工場用地を選んだとき、当初、地元の人たちに反対された。
 「公害は絶対におこさない」「醤油は大豆、小麦を使う農業ビジネスだ」と説得して収まった。
 地域との共存共栄とは、要するに経営の現地化である。同じ条件ならばアメリカの工場と近い企業と取引しよう。日本から行く人数をできるだけ減らし、現地の人を採用しよう。日本から行った駐在最も固まって住まないで、現地に溶け込もうということである。
 アメリカの次に、ヨーロッパとオーストラリアにマーケティングを開始したが、オーストラリアの方が先に伸びた。オーストラリアはアメリカと同じように、保守的でない。ヨーロッパはなかなか難しい市場である。特にフランスが難しい。比較的いいのは北欧だ。ヨーロッパも醤油の売り上げが伸びてきたので、5年前にオランダに工場をつくった。
 実はオランダ進出を検討しているとき、オランダの日本大使館から「総理が会うとおっしゃってる」と電話があった。私が総理官邸にいくと、総理と経済大臣の2人が、30分以上、なぜオランダがいいかという話をされた。それで感激してオランダにしたわけではないが、ああいう姿勢は日本の政治家にもぜひ見習ってもらいたいと思う。
 日本から韓国に醤油が輸出できなかった時期に、アメリカのウィスコンシン州知事に話したら、「アメリカから出せるように韓国政府と交渉する」といい、数カ月したら実現した。日本の政治家が民間企業のことをやると具合が悪いというふうな雰囲気が強いが、欧米の政治家はビジネスを理解して、非常に行動力があるという印象を受けた。
 現在、世界の6カ国に醤油工場があり、100力国くらいと商売をしている。海外で醤油を売ることは、日本の食文化を海外に輸出することだと考えている。文化には交流の段階と融合の段階がある。醤油の場合は、アメリカでは融合の段階に入っていると思う。アメリカでは″フュージョンフーズ″つまり融合料理というのがはやっている。私どもの醤油もアメリカでは、アメリカの食文化の中に融合したのではないかと考えている。

(週刊「世界と日本」1557号。講演録はじゅん刊「世界と日本」に掲載) 戻る