次はデフレからの完全脱却
 内外経済の動向
             日本銀行総裁 福井俊彦

 内外ニュース東京懇談会3月例会は28日、東京・キャピトル東急ホテルで行われ、日本銀行総裁の福井俊彦氏が「内外経済の動向」と題して、講演した。福井氏は、4月1日からの「ペイオフ全面解禁」で、一つの大きな一里塚を通過するが、「デフレからの完全脱却」という次の関門がより重要だ、と語った。また同氏は、戦後50年間で築き上げた日本経済が、グローバル化という世界経済に通用力を失った今、どう全体の衣替えをすべきかについて、多方面にわたり、分かりやすく述べた。(講演要旨は次の通り)

 きょうは日本経済を中心に、ふだん思っていることを率直にお話ししたい。
 間もなく4月1日から、いわゆる「ペイオフを全面解禁」する。私たちの預金保護を特別に政府がする、ということから解放される当たり前の状況がようやく来た。日本経済は明らかに、一つの大きな関門、一里塚を通過し、新しい局面に入っていく。
 しかし、より重要と考えている関門は、次の関門だ。経済の基盤をもっと固め、持続的な回復路線に本当にしっかり乗せ、「デフレから完全に脱却」させることだ。最終的ゴールとする日本経済の望ましい姿は、その基礎体力をしっかりさせ、世界経済に本当に貢献できる、という局面だ。
 過去10年以上の期間、大変激しい苦痛に満ちたプロセスを経てきた。単にバブル後遺症の後処理ではなくて、より本質的に日本経済の根本的な衣替えのプロセスだった。
 戦後50年ほどかけて日本は、経済立国として世界のお手本となるサクセスストーリーを築き上げた。それは、われわれが組み立てた経済と社会の仕組みが、非常に通用力があったからだが、1980年代以降は、その通用力を急に失った。
 国境を越えた実態としての経済のグローバル化かおこり、モノもサービスも資本も、まだIT革命により情報も自由に流れるようになり、世界経済全体が一つの、大きな循環メカニズムを作り上げて来た。
 その走りが80年代であり、それ以前の50年間で築き上げた、成功物語の日本経済の基本構造そのものが、極めてオープンな経済に対し通用力を失ってきた、ということだと思う。「グローバル化」が、日本が考えていた国際化というものよりも、はるかに次元や国境を越えて、飛躍した。
 一方、どことなく規制と保護とに幾らか守られ、内向きの要素を残していた日本経済は、個々の企業内部の組織構造が非常にがっちりしていた。大量生産、大量消費、追いつき、追い越せ型で成長力を上げたときには最適モデルだったが、通用力を失った今、新しい時代に即応するように、日本経済全体の衣替えをしなければいけない。
 構造改革という言葉が初めで登場したのは80年代だ。なにかピンとこなかったが、その頃は社会の仕組みに、成功物語の余韻が残っており、ある意味の既得権が非常に累積していた。従って、日本の80年代以降というものは、自ら築き上げた成功物語モデルを壊しながら、次のモデルをつくらなければならない点で、当然、人間社会の出来事としては苦難に満ちた道程が待ち構えていた、ということだと思う。
 バブル崩壊後、1996年(平成8年)頃と2000年(平成12年)の2回ぐらい日本は、景気回復の動きを少し経験した。96年のときは、翌年の山一 (証券)の倒産はじめ非常な信用不安がおこり、アジアで大きな金融不安が起こった。
 2000年のときは、アメリカでハイテクバブルが崩壊した。そういうショックに非常に弱い経済だったので、極めて短命に脆くもついえた、という苦い経験を2回持っている。
 今回は、2003年秋の時点で最初に、過去2回よりも少しは本物だと判断し、その後の経過を今日までみてきた。では、2004年の4〜6月以降、なんで景気の回復が本物らしくしっかりしないのか。そこには2つのショックがあった。
 第1の理由は、海外経済の調整だ。アメリカ経済の一時的軟化、および中国経済が、行き過ぎた固定資本形成への政策当局からの抑制措置で、景気の調整を少し行ったことの影響である。第2は、世界的なIT産業の生産・在庫調整のマクロ経済への波及だ。この2つが、日本のGDP横ばいという足踏みを生み出している基本的な要因だ、とみている。
 日本経済はこれから、踊り場的な景気の動きから徐々に脱却し、もう間もなく緩やかだが上昇局面に入るだろう。それは世界全体の経済成長率が、去年1〜12月)は非常に高い5%だったが、IMFの見通しで、今年も4・5%近傍の達成はほぼ間違いない、と言われており、この判断は今年いっぱいは狂いそうもない状況だ。
 IT関連業界の生産とか在庫だが、今回はそんなに深く、かつ大幅な調整はないだろう、というのが世界共通の見通しだ。よって、2005年、新年度の日本経済は、比較的着実な回復をたどっていく可能性のほうが強いだろう、とみている。
 見通しに関するリスク要因だが…。一つは原油価格が非常に高いレベルに達していて、この影響がどうか。もう一つは、為替相場の動さなどか撹乱的な影響要因とならないか、である。注意してみていかねばならない。
 原油の値段だが、国内では「円建て」で使う。ドル安・円高の今、輸入価格は70年代の第2次石油ショック時よりはるかに低い。かつ、日本の産業界の努力、技術進歩で、1単位当たりのモノを作り出すために消費される原油の量が格段に少なくなっている。
 つまり、原油の原単位が非常に低くなっており、日本経済に与える影響はかなり低くなっている。しかし、日本より原単位が高いアメリカや、ものすごい高さの原単位を持つ中国などのエマージンク(新興経済)諸国で、経済成長ペースに乱れが生ずると、間接的に影響が出る。
 次に為替レート。円高が収益を直撃するリスクに、日本企業は心理的に非常にナーバスだ。為替相場の動きが短期的に非常に不規則にならないか。volatile(変化の激しい状態)にならないか、はいつでも重要な要注意事項である。
 物価の話だがー。一昔前までは卸売物価指数と言っていた、企業が直面する「企業物価指数」。そして、われわれ生活者が日常的に直面する「消費者物価指数」がある。先進国おしなべて、前者は上がっており、後者は安定感が強くなかなか上がらない、という二極化現象が起こっている。しかし先進国で消費者物価指数がマイナスを続けているのは日本だけで、いわゆる「デフレが長引いている」状況である。
 過去の不況要因からくる「需給ギャップというデフレ」要因は、かなり解消しているが、「世界共通要因としてのデフレ」の背景は結構根強い。それは企業の「生産性の上昇」と「賃金の抑制努力」という2つの要素で形成される、「単位当たり労働力コストの低下」から来るものである。
 生産性の上昇は、技術革新とか知識創造力の向上など、イノベーションの進展によるが、その成果で先行して上がった日本の賃金レベルは、技術がさらに進歩しない限りは、同じ技術レベルのエマージング諸国である、中国とかインドの人たちに比べ高い状況になる。下げよう下げようというプレッシャーの中で、賃金はなるべく上げないで行こう、と、今その力が非常に強く働いている。
 金融政策は2001年3月以降すでに4年間、 「量的緩和政策」を続けており、ついこの間から5年目に入った。その中身は2つある。
 一つは、金融市場に流動性をたくさん供給すること。日本の金融機関は、一定額の無利息の当座預金を日銀に保有しなければならないが、今その必要額は5〜6兆円。実際に日銀が毎日供給しているのは30兆円以上だ。金融不安が非常に濃かったこれまでの状況と比べて今は、そのリスクを防いできたという効果があったと思っている。
 もう一つは、「緩和政策は、消費者物価指数の前年比変化率が、安定的にゼロ以上になるまで続けます」というコミットメント(約束)だ。これは、企業が構造改革や新事業に挑戦する際に、緩和的な金融環境が長く続くという前提条件で取り組んでいただける、という効果があるはずだ。
 昨年10月、日本銀行はやや長期の見通しを出して、同時に金融政策の運営スタンスとして、「われわれは決して急がない。余裕を持って対処したい」ということを申し上げた。
 金融政策は、いろいろ心配して早め早めに対応する、というのが基本原則だが、今回はlatitude(寛容)をもってやる、ゆっくりやらせていただく、どうぞ皆さんどんどん先行して動いてください、われわれはあとからついていきます―と。
 最近は、私どもの方で30兆円以上の流動性を市場に供給しようとすると時々、苦労が伴うことがある。今のように金融不安が収まってくると、個々の金融機関として余分な流動性を身にまとっておく必要性が薄れてきている。これは事実だ。
 特にこれからは、不良債権の処理よりも、企業の新しいファイナンスニーズに応えながら、自らも高い収益を上げていくことにターゲットを切り替えてきておられる。
 利を生まない日銀当座預金という形で、資産としての流動性を高く持つのは、収益をたくさん上げてもROA(総資産利益率)はなかなか上がらない、ということになる。だから日銀がマーケットで、資金供給のためのオペレーションを行うと「札割れ」が生ずるというのは、そういうところから来ている。
 先々週の末、日本銀行は業務の運営に関して二つの方針を発表した。一つは姿勢のことだが、これまでの「危機対応型」モードを、今後は「金融高度化対応型」に切り替えていく。もう一つは、内部管理の問題だが、今回から中期経営戦略を樹立し、今後5年間は、どういう仕事に重点をおくかを明確にした。つまり、内部の資源配分の効率化、明確化のためのプランニングだ。
 世界経済における特徴的な動きをお話ししたい。
 一つ目は金融市場についてだがー。企業行動としては、的を絞った投資をするというのが、アメリカ、日本など先進国で共通の現象になってきているが、中国その他エマージンク経済との激しい競争を意識しながらの結果として、収益が上がりやすい体質になってきている。いわゆるキャッシュフローを十分実現できる企業経営になっており、また、そのレベルも高い。
 その割には、新規投資、雇用、賃金面でのコミットメントはあまりにも低い。キャッシュフローはそのままでは利を生まないわけだから、当然、株価は低い。株価の上値の重さは、そういうところから来ているのかもしれない。長期金利が、先行きのインフレ期待が起こりにくい経済という点で、昔と違い、上がりにくく低い。
 二つ目は、今は世界経済の将来への成長期待がどんどん上がるという状態ではなく、企業も慎重にならざるをえないが、その中にも常に最適なブレークスルーのルートというものを捜し求めて努力しており、日本の場合も同様な段階にだんだんなってきている。デフレ脱却にいま少し時間がかかっているのは、そういう構図の中に入って来ているからだ。
 日本の場合には、さらにもう一つ、公的部門のリストラが大きな宿題として後に残っている。財政再建と社会保障の問題だ。財政の赤字とか債務残高がこれだけ大きくなると、公的部門の資金需要と民間部門のそれがバッティングし、相対的に長期金利が必ず上がるわけで、民間企業はハンディキャップを負うが、逆に言えば、公的部門のリストラを早く進める必要がある、といえる。
 来年か、再来年ぐらいをターニングポイントとして日本は、少子・高齢化社会の最終的な姿として、「総人口が減る」という局面を迎える。それは、総需要が減るということで、経済成長という観点からは、ほうっておくと他の条件が一定とすれば、自然にマイナス成長になる、ということだ。
 同時に社会の仕組みとして、若い年齢層が減り、高齢層のウエートがあがる。それぞれが生活の安定と、より高い生活レベルを求めた場合、社会保障制度の安定性および負担の公平性が確保されないと、不安が募り、世代間の対立が非常に強く出てきて、社会の安定性を壊すというリスクがある、と思う。それは経済の将来にとっても、極めて大きな障害になってくる。
 われわれのマインドは戦後、経済立国ということで、経済的価値を最優先にしてきたが、もっといい国を作るために、これからはわれわれのもつ政治意識というものが、強くならなければならない。来年から、単に小泉総理の任期が終わるということではなく、根本的にそういう時代を迎えることになると思う。

(週刊「世界と日本」1666号。講演録はじゅん刊「世界と日本」1041号に掲載) 戻る